リエゾン区間を越えて、伊良湖岬へ
旅の始まりは、正直に言って「我慢」の連続だ。 愛車・SUZUKI SX200にとって、退屈な東名高速を走り続ける時間は、ラリーでいうところの「リエゾン(移動区間)」に他ならない。
200ccのオフロードバイクで高速の風圧に耐え続けるのは、都会でのデスクワークで固まった体には堪える。指先に残るエンジンの細かな振動をやり過ごしながら、修行のような時間を経てようやく辿り着く伊良湖岬。そこが、私にとっての本当のスタートラインだ。
フェリーの甲板で「無」になる
伊勢湾フェリーのランプウェイを、バイクのタイヤが叩く。その鉄板の音を聞くと、ようやく重いリエゾンから解放された実感が湧く。
船が出航すると、私は迷わず甲板へ出る。潮風に吹かれながら、何も考えずボーっと水平線を眺める55分間。飛行機や高速道路にはない、この「空白の時間」こそが、日常の澱を洗い流すために必要な儀式なのだ。
遠ざかる陸地とともに、高速走行の緊張感が、ディーゼルエンジンの心地よい振動に溶けて消えていく。
パールロードの風と、大滝峡の静寂
鳥羽港に接岸し、再びSX200に火を入れる。 バイクに跨がり、鉄板のランプウェイを下っていくとき、ヘルメットの中で自分の顔が自然と笑顔になっているのを感じる。 いよいよ、待ちに待った「実戦」の始まりだ。
まずはパールロードへ。リアス式海岸の絶景を見下ろしながら、小気味よく右へ左へとバンクさせる。高速道路で強張っていた体が、ワインディングを駆け抜ける快感でしなやかさを取り戻していく。
初日の宿は大滝峡キャンプ場。焚き火台も持たないシンプルな設営を終え、暮れなずむ谷あいでバーナーに火を灯す。飯を炊き、カレーを準備するこの音は、今日一日の移動を終えた安心感そのものだ。
しかし、その賑やかな音も調理の間だけ。火を消せば、深い静寂が戻ってくる。耳に届くのは、ただ静かに響く清流のせせらぎ。その音が、日常の喧騒を忘れさせ、深い安らぎを染み込ませてくれる。
2日目:十津川の吊り橋が呼び覚ます、五感の刺激
翌朝、紀伊半島の複雑な地形を縫うように走る。 この半島を旅していると、日本は本当に山深い国なのだということを肌で感じる。どこまでも続く深い緑の重なり、険しい峠道。
そんな山の中、寄り道したのは「谷瀬の吊り橋」だ。バイクブーツの硬い底で踏みしめる、細い板の心許ない感触。 揺れるワイヤー、足元に広がる十津川の深い緑。鈍っていた生存本能が、この不安定なスリルによって鮮やかに呼び覚まされる。安全な都会の日常では決して味わえない、この刺激が心地よい。
2泊目:川湯温泉、地球の熱と「叶わぬ夢」を抱く旅人
最終目的地、川湯温泉キャンプ場へ。 河原を掘って作る自分だけの露天風呂と、村の公衆浴場をハシゴして旅の疲れを癒やす。
夜、テントサイトの空いている空間に、誰からともなく人が集まり、自然と輪ができた。その中に、定年後に軽自動車で全国を旅しているという高齢の男性がいた。 「本当は、君たちみたいにバイクで回りたかったんだ。でも家族に猛反対されてね。仕方なくこれ(軽)で旅をしているけれど、やっぱりバイクの皆がうらやましいよ」 ランタンが照らす輪の中で、彼は愛おしそうに私たちのバイクを眺めていた。その「叶わなかった夢」の重さを聞きながら、今、自分がSX200と走れていることの自由を、改めて噛み締めた。
結び:リエゾンがあるからこそ、旅情は深い
SX200という小さな相棒と駆け抜けた2泊3日。 高速道路の我慢も、船の上の静寂も、山深い紀伊半島の風も、そして夜の語らいも。そのすべてが、日常で眠っていた感覚を芯から叩き起こしてくれた。 効率だけを求めれば見落としてしまう「誰かの憧れ」が、バイク旅の路上には、確かに詰まっている。

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