社労士を目指した理由ー多忙なITエンジニアの私が一念発起したきっかけ

社労士という資格を知ったとき、私は多忙なエンジニアでした。
日々の仕事に追われながら、家庭では子育て中の共働き。
決して余裕のある生活ではありませんでしたが、何とか平穏な日々を送っていました。それでも心のどこかで「このままでいいのだろうか」という思いを抱えていたのです。

この記事では、そんな私が社労士を目指すに至った理由と、その背景についてお話しします。
仕事と家庭を両立しながら資格取得を目指す方にとって、何か一つでも参考になることがあれば幸いです。

社労士を目指した理由ー多忙なITエンジニアの私が一念発起したきっかけとその背景

はじめに 多忙でも、社労士を目指す理由があった

社労士が、事務所の机であいさつしているイラスト
はじめまして。IT業界から転身した、現役の社労士です。

はじめまして。私は大学では経済学部を卒業し、その後、IT企業でハードウェアのカスタマーエンジニアとして働いていました。カスタマーエンジニアというとあまり馴染みがないかもしれませんが、簡単に言えば「コンピューターの修理屋」です。私の場合、修理の対象は、一般的なパソコンではなく、企業の基幹システムを支えるサーバーと呼ばれるようなコンピューターが中心でした。

ハードウェアの故障があれば、現場に駆けつけて修理をする・・そんな仕事だったので、時間も不規則で、残業や休日出勤も日常茶飯事でした。そんな環境で、なぜ私は「社労士を目指そう」と思ったのか。そしてどうやって、無理なく勉強を続けられたのか。

この記事では、社労士を目指した理由とその背景について、私自身の体験をもとにお話ししたいと思います。今、仕事が忙しくて資格勉強を迷っている方や、「自分にもできるかな?」と不安を感じている方に、少しでもヒントになれば嬉しいです。

きっかけは“人の働き方”への違和感だった

社労士を目指したきっかけの一つは、自分自身の働き方に対する違和感でした。

カスタマーエンジニアであった私が担当していた業務は、企業のサーバーなどを修理する業務で、昼夜問わず障害対応が求められる過酷な現場でした。特に大変だったのが、月に数回回ってくる「夜間の障害対応当番」です。

当番の日は、自宅でもコールセンターからの呼び出しに備え、枕元に携帯電話を置いて眠らなければなりません。「どうか今日は携帯が鳴りませんように」と祈るような気持ちで布団に入り、朝まで呼び出しがないだけでホッとする、そんな日々が続いていました。

もちろん、呼び出しが実際にある日もあります。夜中に障害の連絡が入れば、すぐに近所のタクシー会社の営業所に電話し、タクシーに乗ってそのまま現場へ直行します。何度も同じ運転手さんの車に乗ることがあり、「いつも大変ですね」と声をかけられたこともありました。

現場では、障害が復旧して「助かりました、本当にありがとうございます」と感謝されることもありました。一方で、障害が長引いて業務に大きな支障が出てしまう場合には、お客様から厳しい言葉を投げかけられることも少なくありませんでした。

サーバーの前で頭を下げるカスタマーエンジニアと、それを厳しい表情で怒鳴っているお客様のシステム担当者。
サーバー障害が長引くと、お客様から厳しい言葉を受けることもあった。

さらにもう一つの理由としてあったのが、「このままこの仕事を続けていく自信が持てなくなってきた」という気持ちです。私は経済学部の出身で、もともと文系。エンジニアとしてある程度の経験は積んできましたが、周りには理系出身の優秀な同僚も多く、次第に「この分野でトップに立つのは難しいな」と感じるようになっていきました。

そんな折に、自分のキャリアについて真剣に考えるようになり、ふと目にしたのが「社会保険労務士(社労士)」という資格でした。

この資格に惹かれたのは、人事労務や働き方に関わる国家資格であり、まさに自分が違和感を抱いていた「働き方」そのものに向き合える仕事だったからです。

さらに、社労士は決して簡単な資格ではありませんが、司法試験のように現実離れしているほど難しいわけでもない、という点もポイントでした。実際に調べてみると、時間をかけて努力をすれば合格を目指せるレベルであることもわかり、「これなら現実的に挑戦できるかもしれない」という気持ちが芽生えたのです。

資格も法律もゼロからのスタート

社会保険労務士を目指そうと思ったとき、私は法律の知識はまったくのゼロでした。大学は経済学部で、仕事はIT系のハードウェアエンジニア。法律とは無縁の世界です。もちろん社労士の「しゃ」の字も知らない状態でした。

ただ、だからといって躊躇しようとは思いませんでした。むしろ、今の自分を少しでも変えたい、現状から抜け出したいという気持ちの方が強かったのです。

本音を言えば、こうも思っていました。

「このままエンジニアを続けても、上には行けないだろうな」

現場の最前線で障害対応をし、休日も夜中も働いているのに、ふと社内のメールを見ると、管理部門の人たちは定時で帰っている。

「なんだか、ずるいな」「楽そうでいいな」

当時はそんな風に思っていました。

もちろん、今にして思えば、それぞれの部門に違った大変さがあることもよく分かります。実際に私が後に人事に異動してからは、想像以上に神経を使う仕事が待っていました。

でも、当時の私にとっては、管理部門=ホワイトな働き方、現場=過酷で評価されにくいという印象があったのです。

そんな中で、もし資格を取って人事や労務の分野で働ければ、「もっと人間らしい働き方ができるんじゃないか」「現場を支える立場に回ることができるかもしれない」そう思うようになりました。

そしてもう一つ、資格を取れば転職の道も開けるかもしれないという打算的な気持ちや、独立開業できるかもしれないという気持ちも、正直ありました。

社労士の資格は、働き方や労働環境に直接関わる資格です。自分が違和感を覚えてきた「働き方」そのものに関われること、そして、難しすぎないけれど本気で勉強すれば手が届くかもしれないという「ちょうど良い難易度」も魅力でした。

そんな風にして、まったくの初心者だった私が、ゼロから社労士を目指す決意をしたのです。

家庭とのバランス、そして妻の猛反対

当時の私は、仕事だけでなく家庭でもなかなか大変な状況にいました。子どもは2人。子供はまだ保育園に通っていて、しかも共働き。妻は看護師で、こちらも激務。私もITエンジニアとして残業や休日出勤が多く、毎日がギリギリの綱渡り生活でした。

保育園の送り迎えは分担していて、私は朝の送りを担当。夜は残業で帰りの時間が読めないため、迎えは妻が担当する形でした。どちらが欠けても回らない、そんな毎日です。

そんな中、「社労士の資格を目指したい」と妻に話したとき、彼女は烈火のごとく怒りました。

「は? 今ですらギリギリなのに、何勝手なこと言ってるの!?」「こんな状況で勉強するなんて無理に決まってるでしょ!」「どんだけ家族に迷惑かけることになると思っているの?」

社労士を目指したいと打ち明けた際、妻が怒っているイラスト。
社労士を目指すと打ち明けたら妻は激怒。家庭の状況を考えれば当然の反応だった。

…その反応は、ある意味当然だったかもしれません。私の中では少しずつ悩み抜いて出した決意でしたが、彼女にとっては“青天の霹靂”だったのです。

でも、私はどうしてもこの資格に挑戦したかった。自分の働き方を見直すためにも、今の生活を変えるためにも、子どもたちに、何かを一生懸命やりきる姿を見せたいと思ったからです。

だからこそ、真正面から妻と話をしました。感情的になりかけた場面もありましたが、なぜ目指したいのか、どんなやり方で勉強するつもりなのか、どう家庭に負担をかけないようにするのか、一つひとつ丁寧に伝えました。また合格してカスタマーエンジニアとは別の仕事をするようになれば、結果的にもっと家事も行えるようになる、と説得したのです。

さらに当時、その話をした時期は1月で次の社労士試験までの残り期間はたった7か月。今すぐ本格的に始めても、私の生活状況では合格は現実的ではありませんでした。そこで私は1年半後の夏に合格する計画を立ててこう妻に伝えました。

「今から1年半、本気で取り組ませてほしい。それでも合格できなかったら、あきらめる。約束する。」

その“覚悟”が伝わったのか、最終的に妻は、「そこまで言うなら、やってみなよ」と納得してくれました。家族の理解が得られたことが、最初の大きな一歩になったのです。

まとめ:なんとなく生きてきた私が、初めて「かけてみたい」と思えた資格

思い返せば、これまで私は何かに全力で打ち込んだことがありませんでした。

高校受験も、大学受験も「なんとなく」で、特にやりたいことがあったわけでもありません。大学も「つぶしがききそう」という理由で経済学部を選び、就職も流れに身をまかせて決めたようなものでした。

そんな“なんとなく”の人生を送ってきた私が、なぜか社労士という資格を目指すと決めたときだけは、違っていました。

「これに、かけてみたい。」

理由をうまく言葉にできなかったけれど、このままでは終わりたくないという思いと、“自分で決めて、自分で勝ち取りたい”という強い気持ちが、心の奥から湧いてきたのです。

もちろん、家族の協力なくしては始めることすらできなかった挑戦です。妻との話し合いを経て、1年半という期限付きでチャンスをもらい、私は人生で初めて「本気で挑む」というステージに立つことになったのです。

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