【道具の記憶】オプチマス8Rからピークワンへ。古い燃焼音が私を「自分」に戻す

17歳の北海道と8R。孤独な野営地で聞いた「一人の食事」の合図

私のキャンプの原風景には、いつも金属が擦れる音と、独特な油の匂いがあった。高校時代のワンゲル部では「マナスル121」という大型の灯油ストーブを使っていたが、17歳の夏、一人で北海道を巡った自転車旅では、先輩から借りた「オプチマス8R」を相棒に選んだ。

小さな弁当箱のような金属製の箱を開け、バーナー部分を温める。私は当時、プレヒート(予熱)に、「メタ」と呼ばれるタブレット状の固形燃料を使っていた。バーナー直下の受け皿にメタを置き、火を灯して青い炎が静かに立ち上がるのをじっと待つ。この「待ち時間」こそが、孤独な旅路における安堵への入り口だった。

やがて熱が伝わり、バルブを回すと「シュシュシュ……」という繊細ながらも力強い燃焼音が響き始める。本体は小さいが、その音は一人前だ。見知らぬ土地の、誰もいない野営地。暗闇が迫る中で響くその音は、私にとって「今日という日を無事に終え、温かい食事にありつける」という祝福の合図だった。8Rの頼もしい音を聞きながら、私はようやく、張り詰めていた旅の緊張を解くことができたのだ。

儀式としてのポンピング。指先に伝わる抵抗が日常を切り離していく

大人になり、バイク旅やファミリーキャンプへと形を変えてからも、私の傍らにはガソリンストーブがあった。今の相棒である「ピークワン」は、8Rとはまた違う「儀式」を求めてくる。

火を灯す前に、必ず行わなければならないのがポンピングだ。ポンプノブを指先で何度も押し込み、タンク内に空気を送り込む。最初は軽かった手応えが、回数を重ねるごとに次第に重くなっていく。指先に確かな空気の抵抗を感じるようになると、私の心の中で一つのスイッチが切り替わる。

現代のビジネスマンとしての日常は、常に効率と生産性の追求だ。あらゆるものが即座に反応する。しかし、このキャンプ地では、自分の手を汚し、手間をかけなければ、小さな火一つ得られない。

指先に伝わるあの重みは、仕事で求められる論理やスピードから私を引き剥がし、「自分の手で今の時間をコントロールしている」という実感を強く与えてくれる。この不自由な手順こそが、日常を脱ぎ捨てるための不可欠な儀式なのだ。

生き物のように「呼吸」する火。静かなガスコンロにはない仲間としての温もり

最近主流のガスコンロは、驚くほど簡単で、ひたすらに効率的だ。だが、私はあえてそれを使わない。静かな、スマートすぎる青い炎は、どこか無機質で物足りなさを感じてしまうからだ。

一方で、ガソリンストーブが奏でる「ゴーッ」という地響きのような燃焼音はどうだろうか。それは単なる機械の作動音ではなく、一生懸命に火を吹き出し、熱を生み出そうとする「呼吸」のように聞こえる。

必死に火を出し続けるその姿を見ていると、道具というよりは、共にキャンプを作り上げる「仲間」や、意志を持った「生き物」のように思えてくる。

まだ誰も起きてこない早朝。朝の一杯のコーヒーを淹れるために、ピークワンに火を灯す。冷え切った空気の中で響くその轟音は、不思議なことに、かえって深い静寂を連れてくる。生き物のような火の鼓動が、私の孤独に寄り添い、温かく包み込んでくれるような感覚。

家族の寝息を感じながら、生き物のような火の鼓動と向き合う時間は、自分の心だけを静かに整えてくれる。この音があるからこそ、一人の時間を楽しみながらも、これから始まる家族との一日を温かく迎え入れる準備ができるのだ。

不便な贅沢。効率を捨てて「自分の意志」で火を灯す理由

最新のガスバーナーを使えば、もっと早く、もっと静かに、確実に料理ができるだろう。現代のトレンドである「ライト&ファスト(軽く、速く)」という考え方からすれば、重くて手間のかかる古い道具を使い続けるのは、時代遅れと言われるかもしれない。

しかし、年を取った今だからこそ思う。あえて不便さを選び、その手間を楽しむことこそが、本当の贅沢ではないだろうか。

仕事では、無駄を省き、時間を管理し、数字を追い求める日々。そんな日常から「あえて逃げる」ために、私はここに来ている。自分の意志で古い道具を選び、自分の手で時間をかけて火を育てる。そこには、誰にも強制されない「純粋な自由」がある。

効率や生産性を一切考えなくていい15分間。ピークワンの力強い燃焼音を聞きながら、私はただ、お湯が沸くのを待つ。その何でもない時間が、すり減った心を整え、明日を生きるための静かなエネルギーを蓄えてくれる。

古い燃焼音は、いつだって私を、ビジネスマンではない「ただの自分」へと連れ戻してくれるのだ。

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