ポジフィルムの限界。ありふれた「記録」には残らない何かに気づいた頃
10代の自転車旅から20代のバイク旅へ。当時の私の相棒は、一眼レフカメラだった。誰もいないような静かな野営地に辿り着くと、小型の三脚を立て、セルフタイマーを使って自分の姿を風景の中に収める。フィルムはネガから、より色彩の鮮やかなポジフィルムへと変わり、機材へのこだわりは増していく一方だった。
しかし、現像されて戻ってきた写真を見るたびに、言葉にできない物足りなさが胸に溜まっていった。そこにあるのは、確かに行ってきた場所の正確な記録だ。構図も露出も悪くない。けれど、それはあまりに「ありふれた記録写真」に見えた。
シャッターを切るのは一瞬だ。その瞬間の光は捉えられても、その時に吹いていた風の冷感触や、私の心がどう震えていたかまでは写っていない。完璧な記録を求めれば求めるほど、自分と風景の間に一枚の冷たいガラスがあるような、そんなもどかしさを感じていた。
6色のパステル。下手でもいいから「自分の心の形」を紙に写したくて
そんな時、美大出身の友人から教わったのが、小さなスケッチブックとパステルを持っていくことだった。パステルといっても、わずか6色のシンプルなものだ。写真のように写実的に描くことなんて、到底できない。
それでも、地面に腰を下ろし、スケッチブックを広げた瞬間、カメラを構えていた時とは違う緊張感が私を包んだ。「この感動を、どう表現すればいいだろうか」「そもそも自分に描けるのだろうか」描き始めの私の耳には、周囲の風の音も鳥の声も、まだ遠く、どこか他人事のようにしか聞こえていなかった。
パステルを手に取り、スケッチブックの程よくザラザラとした、ナチュラルな質感の表面をなぞる。「ザザザッ」と色が乗っていく感触が指先に伝わる。写真の一瞬のシャッター音とは違い、自分の手で色を選び、紙に擦り付けていく時間は、その時の情景を十分にかみしめるような儀式だった。
心に響いた部分は、あえて強調してデフォルメする。空の青さを、もっと深く。木々の影を、もっと力強く。それは、自分勝手な風景の解釈が許される、究極の自己満足の世界だった。しかし、その「勝手さ」こそが、私の求めていた「表現」の正体だったのだ。
「素敵ですね」と声をかけられて。誰もいない野営地で感じた小さな照れ
なるべく人がいない場所を選んで描いていたが、時折、ふらりと現れた旅人に「素敵ですね」と声をかけられることがあった。
59歳になった今の私なら、笑顔で「ありがとうございます」と返せるかもしれない。だが、当時の若かった私にとって、自分の内面を曝け出しているようなスケッチを見られるのは、どうしようもなく恥ずかしいことだった。慌ててスケッチブックを閉じそうになるのを堪え、ぎこちなく会釈をする。
けれど、その小さな交流は、旅の記憶に柔らかな彩りを添えてくれた。見知らぬ誰かと、目の前の景色を「美しい」と思う気持ちを共有できたこと。それはカメラのファインダー越しに孤独を切り取っていた時には味わえなかった、温かな手のひらのような記憶として残っている。
描いている途中で、うまく線が引けたり、思い通りの場所にハイライトが決まったりすると、不思議なことが起こる。それまで遠ざかっていた風の音や鳥のさえずりが、急に鮮明に聞こえ始めるのだ。
景色と、自分と、描いた絵が一つに溶け合うような安心感。その満足感に包まれると、孤独だったはずの野営地が、世界で一番贅沢な居場所に思えてきた。
写真には映らない満足感。下手な絵が教えてくれた「自分の愛し方」
客観的に見れば、私の描いた絵は上手なものではなかっただろう。技術も知識もない、ただの素人の習作だ。けれど、あの時のスケッチブックには、ポジフィルムには決して映らなかった「当時の私の心の揺らぎ」が、パステルの粉とともに塗り込められている。
完璧でなければならない。正解を見つけなければならない。そんな風に肩肘を張っていた若き日の私にとって、パステルという「不自由で曖昧な道具」を受け入れたことは、一種の救いだったのかもしれない。
「うまくなくても、個性があってもいい。ありのままの自分でいいんだ」
そう思えたとき、目の前に立ち込めていた霧が晴れ、その先に柔らかな光が見えた気がした。10代、20代と、カメラを抱えて旅を続けてきた私が、ようやく自分自身を肯定する術を見つけた瞬間だった。
今、59歳になり、私はパステルを万年筆に変えてペン習字を学んでいる。かつてパステルを動かした時と同じように、一筆一筆に自分を投影する時間の心地よさ。あの頃、人気のないキャンプ場で一人スケッチブックに向き合った静かな情熱は、形を変えながら今の私の根底に流れ続けている。
夕暮れ時、キャンプ場の隅で一人、パステルの汚れが残った指先を眺めていたあの時間。空の色がゆっくりと藍色に染まり、夜の静寂が訪れるのを待つ。あの満ち足りた孤独こそが、私の「遠回りの足跡」の中で、最も美しく光る記憶の一つである。

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